こんばんは。店主です。
ここ数日、急に春を感じさせるような陽気に戸惑いつつ、寒暖差で皆様の心身に大事ないでしょうか。

さて、そういえば、焼き芋ってしたことありますか?

幼い頃、実家の畑で 祖母がサツマイモを育てておりました。
 
頃合いの季節になると、時々地面から少し出ているサツマイモを見つけ、その成長を見ながら、いつ芋掘りができるのかを、ワクワク楽しみにしていた記憶がある。
掘った芋の大きさに一喜一憂しながら、刈っていた草やら何やらを野焼きして、その中に収穫した芋を放り入れ、焼き上がりを只々待つ。
そうやって出来た焼き芋。

厨房で出来上がった熱々の焼き芋を、アルミホイルから取り出していると、何故だかそんな事を思い出した。たぶん自分にとっての焼き芋は、食べる物という側面もありつつ、普段はどこかにしまってあった記憶と繋がるスイッチのような役割もあるみたいだ。

ただ一方で、人間の本能的に昂ると言いましょうか、焚き火自体に、当時 訳もなく強烈に惹かれてしまったのを覚えている。
人類が火を使用、つまり料理をし始めたのは、約180万年前の原人ホモ・エレクトスの時代と推定されているらしい。
その時代から、自身のDNAに脈々と受け継がれていたのかどうかは定かではないけれど、大人の眼をかいくぐり、熾火を使って、その辺りに自生するよくわからないキノコを焼いてみたりすることで、悦に浸っていた。

時を経て 小学生の頃、学年皆でキャンプに行った時のこと。僕は食事班の一員だった。献立はおそらくカレーだったように思う。晩御飯の準備をしながらも、焚き火を見ていると、ジリジリと炎の魔力に抗えなくなっていった。
カレーもほとんど出来上がった頃、炭化し燻っていた小さな薪を、その辺の木切れで摘み、先生や同級生達の眼をかいくぐっては、見つからないようテントの陰へ何度か運ぶ。そうして 少しずつ秘密のかまどを作っていった。
山なので、野生のキノコが豊富。まさに宝の山だった。
昔、絵本で見て憧れていた、肉を焚き火で丸焼きにするように、真似事でキノコを熾火で焼く。夢中だった。
原人ホモ・エレクトスモードになってたとはいえ、そこは昭和時代を生きる小学生。惜しむらくは、周りの警戒を怠っていた。

『こらっ!!』

光の速さで振り向くと、離れた場所に校長先生が見えた。
その顔色は、昂ったマンドリルの尻みたく、真っ赤だったように記憶している。
普段は本当に温厚で、小学校の花壇に柔らかい表情で水やりをしていた校長先生が、だ。
刹那、熾火に足で土をかけて消し、山の斜面を駆け逃げた。
思い返せば この時、よくこけなかったなと我ながら思う。とにかく、必死だったのだ。
ただ、こちとら、原人ホモ・エレクトスモード。不安定な山の斜面や、まばらに生えていた木を、疾駆しながらもコマ送りのようにはっきり見えていた。四つ足で駆け抜けていたのかもしれないし、アスリート達が時折入る今で言う“ゾーン”状態だったのかもしれない。

何気ないふりして、食事班に戻ったものの、内心バッキンバッキン心臓は鼓動していた。当時、100人以上生徒はいたから顔までは判別できなかったのか、それとも寛大に許されたのか、今思えば謎なのだが、お咎め無しだった。

その夜、クタクタになってテントに戻ると、見たこともない大きな蜘蛛。恐ろしくて、なかなか寝付けなかった初めての野外キャンプ。

焼き芋してたら思い出した
どこにでもあった様な小さな冒険の話。
 
 

DIARY 一覧に戻る