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『心を込めて』という言葉を、最近ふと思い出します。
ピアノを習っていた幼い頃、関わった先生がよく言葉にしていました。ただ、心は目で見ることはできません。そして、音も同じく見えない。どうやって見えないものを込めるんだ?とその頃はチンプンカンプンでした。
それでも音楽は、時々 人の心を揺さぶり、また時には眼で見るよりも鮮明に、いつかの場面へと連れて行ってくれることもあります。想像力とは不思議なものです。

一方で、料理(味覚)にも、同じ様な力があると思っています。こちらは良くも悪くも眼で見ることができる。そして、SNSが普及した昨今、味覚よりわかりやすい視覚が優位になるのは仕方がないこと。
ただそうなると、経済が動き、色々な欲も個々に乱立し、料理が食べる物というだけではなく、被写体として扱われる様な現象が起こりました。これも時流だから仕方ない…と割り切るのは難しく、作り手としては、どうにも複雑な気持ちになってしまいます。

1つの料理を作るには、時間(素材.気持ち.修練.経験.価値観etc)が必要です。費やした時間も眼には見えづらく、伝わらなければ自己満足になってしまうかもしれません。
ただもし、作り手の費やした時間が受け手の味覚に伝わり、感情が少しでも動いたとしたら、その時初めて『心を込めて』に昇華できる様な気がします。
そして、帰り際『美味しかった』と伝えられようもんなら、不器用かつアナログな全国の作り手サン(生産者サンも)たちや、もちろん私も、心から安堵し報われたなぁと思うでしょうし、奇跡的にまた来てくださったなら、嬉しくなって、より心の込もった料理となり還元されるでしょう。
そうやって、作り手と受け手が共に尊重し合うことで、優しい円を もし描けるのだとしたら、きっと粋な時間を過ごせる場所が、色んな所で増えていくんじゃないか なんて、淡い期待を抱いてしまいます。
→続

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