(前投稿からの続き)
 
 
さて、少し真面目なお話。
 
 
農園を訪れた際、アスパラを選別する建物の一角に、不揃いなアスパラが入っているカゴがありました。
「これは?」と聞くと、
商品にならない(卸す場合)アスパラとのこと。
「え??(宝の山だが)」

そこで、アスパラに関しての
いわゆる“規格外”と識別される
システムを聞きました。
 
 
初めて知る事も多かったです。
農家さんが丹精込めて育てた野菜達が、
見た目 決まっている規格から少しでも外れると、商品として店頭に並べることが難しい事。
(個人や産直等で販売する場合は、ある程度問題無い。)

また、新しく就農を考えている人が、
規格に沿って選別されていく現場を見学した際に、その現実に心が折れてしまう事もあるそうです。
 
 
この話を伺って、もし自分がアスパラとして生まれ、1/2 の確率で見た目 規格を満たさず育ち、システマティックに除外されてしまうと想像したら…
おそらく土の中から出たくなくなりそうです。

幼い頃、畑に育った歪な形の野菜を見つけると、興味深く見つめ、ある種 愛しさに近しい感情を持っていた事を、ふと思い出します。
ただ、大人になり店頭等で、
すでに規格内の商品が並んでいたとしても、
その中からさらに見た目が良いものを
選ぼうとしてしまう心理も、
色々な角度から考えると否定は難しいです。
 
 
一方人間界でも、
第一印象は出会って3〜5秒で、
約6割決まると言われています。
直感でのその判断基準内訳は、
視覚55%•聴覚38%•言語7%らしいです。

そりゃあ大体の人は、
好みのハンサムさんやベッピンさんがいたら、否応なく惹かれてしまうので、
“見た目が大切”と言われれば、
ぐぅの音もでません。

ただ人間界では、芸術/音楽/学問/笑い
/甲斐性/声/人格/スポーツ…等々、
様々なカテゴリーにおいて、
発信する人の容姿とは別の要因で、
誰かを惹きつけ、多種多様な輝きを
放つ場合もあります。
もちろん、全員が誰かの目に留まる程の
輝きを放つ光を抱けるかというと、
現実はそう甘くはないかもしれません。

それでも、誰にだって自身でさえ気づけない ほのかな灯りの様な、小さな光を持っていると信じたいなと思います。
だからこそ、その光を例え偶然だとしても、他の誰かが見つける事は、とても大切な気がします。

そして、“そのままでもいいんだよ、大丈夫”と、とりあえずできる範囲内で、
手を差し伸べられる寛容な環境があって、
その後に試行錯誤していけば、
なお良いんじゃあないかなんて、
モヤモヤと淡い期待を抱いてしまいます。
 
 
 
さて、場面はアスパラの選別場へと戻ります。

不揃いなアスパラの入ったカゴ。
自分には白眼になっちゃうんじゃあないかと思うくらい、眩い光を放ってる様に見えました。

それはまるで、アスパラ達が、
“規格外?何言ってんだ、てめえ”
と、言わんばかりに。

偶然、料理という仕事に携わり、
数ある業態の中から、
どこか普遍的で、安堵感を届けられるかもしれない洋食店を開きました。

洋食店にはポタージュがあったら高まるなぁ
という思いから、なるべく尾道近郊で採れる、四季折々の野菜達で作る事を心がけています。
縁があって、美味しいアスパラを育てている、人間味に溢れた冬木ご夫妻と出会いました。
となると、この人たちが育てたアスパラで
ポタージュを作ってみたいなぁと思うのは
自然な成り行き。

素材のまんまだと、一般的には規格外として、見た目が良いものより価値が低くなってしまうカゴの中のアスパラ達。
料理に携わっていたからこそ気づけた光に、
手を差し伸べ試行錯誤し、
素材の時以上に価値を高めるよう努めること。

そして、お客様の待つテーブルに届け、
一匙ポタージュを口に運んだ後、
言葉や表情で“美味しい”という
答え合わせが出来た時、
不揃いかもしれないけれど、美味しく産まれたアスパラと育てた冬木ご夫妻、自分、お客様の4つの点が結ばれる事で、綺麗な優しい円が描けたんじゃあないかと感じています。

アスパラの冷たいポタージュは、
見た目がどうあれ、
アスパラ自体が新鮮で美味しく、
そもそもそういう野菜達を
育ててくれる農家さんがいて、
“それでも良いよ”と言ってくださる
寛容なお客様がいて初めて
自分は今回料理する事ができたっつーお話。
有難うございました。
 
 
(終わり)
 
 

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